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第1章|金脈は、なぜ見えないのか

新規事業開発について、ある大手メーカーの新規事業担当者と話したとき、こんな言葉が返ってきた。

「うちにはリソースがないんです」

その会社は、売上数千億円規模の企業だった。技術者が数百人いて、全国に営業網があり、何十年もかけて積み上げた顧客との関係があった。それでも彼は、「リソースがない」と言った。

おそらく、嘘をついていたわけではない。本当にそう感じていたのだと思う。

これが、大企業の新規事業が抱える最初の、そして最大の逆説だ。資産が多いほど、資産が見えなくなる。

「使えない」のではなく、「見えていない」

新規事業が失敗する理由として、よく挙げられるのは「スピードが遅い」「意思決定が重い」「リスク回避文化」といった話だ。間違いではない。だが、もう少し根本的なところに目を向けると、別の問題が浮かび上がってくる。

自社に何があるかを、正確に把握している人が、ほとんどいないという問題だ。

技術部門は自分たちの技術を知っている。営業部門は自分たちの顧客を知っている。製造部門は自分たちの生産能力を知っている。しかしそれぞれの「知っている」を積極的かつ横断的に組み合わせたときに何が生まれるかまでは、考えられていない。

新規事業担当者は、そのタコツボの外に立っている。だから全体が見えるはずなのに、実際には各部門のドアを叩くたびに「うちはそういうことをやる部署じゃない」と言われ、社内調整に疲弊して、最終的に「うちにはリソースがない」という結論に至る。

見えていないのは、資産ではなく、資産の組み合わせ方だ。

金脈を掘り当てたのは、誰か

ここでは、私自身が関わったいくつかの事業立ち上げのエピソードを書いていく。3M、Synaptics、そして同僚たちの話だ。

それらを振り返るとき、一つのことが気になっている。

金脈を掘り当てた人たちは、特別な戦略眼を持っていたわけではなかった。市場分析が精緻だったわけでも、社内政治に長けていたわけでもなかった。

彼らに共通していたのは、もっと地味なことだ。目の前の相手と、正直に話していた。顧客が困っていることを、自分の問題として考えていた。社内の誰かが「これは難しい」と言ったとき、その理由を丁寧に聞いていた。自分たちの限界を認めながら、それでも前に進もうとしていた。

言い換えれば、政治的な動きではなく、フラットなコミュニケーションだ。「この課題を本当に解きたい」という思いが、相手を動かした。そしてその過程で、自社の中に眠っていた資産が、初めて姿を現した。

資産は、コミュニケーションの中で見えてくる。「共創」の本当の強さはここにある。

「ある」と「使える」は違う

ただし、ここで一つ注意が必要だ。

資産が「ある」ことと、それが新規事業に「使える」ことは、別の話だ。

技術があっても、その技術を別の用途に転用するための対話が組織の中で起きていないなら、それは使えない。顧客との関係があっても、その顧客が何に困っているかを誰も聞きに行っていないなら、それは活きない。能力があっても、新しい課題に向き合う意志を持った人間がいないなら、存在しないも同然だ。

資産を活かした新規事業とは、「あるものを使う」ことではない。「あるものを、人との対話の中で見直す」ことだ。

顧客と話す中で、自社技術の新しい使い道が見えることがある。社内の別部門と話す中で、組み合わせることで生まれる可能性が見えることがある。クレームを受けた相手と話す中で、新しい市場の入口が見えることがある。

金脈を見つける地図は、分析ツールではなく、対話の積み重ねの中にある。

この記事で伝えたいこと

理論の話はできるだけ少なくする。現場で実際に何が起き、何がうまくいき、何が失敗したかを、可能な限り正直に書くつもりだ。

そしてその中で、フレームワークよりも大切なことを伝えたい。顧客や社会の役に立ちたいという思いを持って、フラットに、誠実に動いた人たちが、結果として金脈を掘り当てた。その話を書きたい。

大企業にいる新規事業担当者が読んで、「明日、誰かと話してみよう」と思えるような連載にしたい。

金脈は、外にあるのではない。あなたの会社の中に、すでにある。問題は、それをどう見つけ、どう使うかだ。そしてその答えは、多くの場合、誰かとの対話の中から生まれる。

第2章|技術は資産か、それとも呪いか

交渉の席に着いた両社には、共通の目標が一つだけあった。

インセルタッチパネルの、世界初の量産。

それ以外はすべて、利害が噛み合わなかった。開発費をどちらが持つか。技術協力の範囲をどこまでにするか。量産の時期をいつにコミットするか。コミットするための条件は何か。数ヶ月にわたる交渉の中で、これらの問いが繰り返し、形を変えながら浮上し続けた。

これは私がSynapticsに在籍していたころの話だ。

技術があっても、製品にならない

スマートフォン市場が急拡大していた2010年代前半、ディスプレイの世界では静かな地殻変動が起きていた。OLEDが高級機種に搭載され始め、薄さと鮮やかさで液晶を脅かしていた。液晶パネルメーカーにとって、それは無視できない脅威だった。

そんな中で、一部の日本のディスプレイメーカーがある技術に目をつけた。インセルタッチだ。

従来のタッチパネルは、液晶の上にタッチセンサーのフィルムを積み重ねる構造だった。層が増えるほど厚くなり、透過率が下がる。インセルは発想を逆転させる。タッチセンサーの電極を、液晶パネルの内部に組み込んでしまう。薄く、明るく、OLEDに対抗できる液晶として差別化できる。理屈の上では、そういう技術だった。

SynapticsはタッチコントローラーICのリーダーとして、このインセル技術の開発を進めていた。アルゴリズムの方向性は見えていた。しかし、製品として完成させるには越えなければならない壁があった。

液晶パネルの内部にタッチ検出の機能を組み込むということは、液晶駆動のノイズとタッチ検出信号が同じ空間で干渉するということだ。そのノイズキャンセリングを実現するためには、ディスプレイ側の回路設計と深く連携する必要があった。Synapticsのエンジニアだけでは完成しない。パネルメーカーの技術協力が不可欠だった。

さらに開発費の問題があった。不確実な技術を完成させるための投資を、Synaptics単独で賄うことは難しかった。ディスプレイメーカーからの開発費支援がなければ、量産への道は開けない。

つまりSynapticsは、技術の種は持っていたが、それを製品に育てるためには、顧客であるはずのディスプレイメーカーの「参加」が必要だったのだ。

しかしここに、厄介な心理が働く。Synapticsはタッチアルゴリズムの技術リーダーだ。「価値の源泉はこちらにある」という自負がある。一方、ディスプレイメーカーから見れば、タッチパネルの設計自体は以前からある技術だ。自分たちが液晶の内部に組み込んでこそ、初めて革新が生まれると感じている。

つまり双方が、「自分の方が価値を多く生んでいる」と思っている。その思い込みが、相手の貢献を低く見積もらせる。開発費をどちらが持つか、スケジュールにどこまでコミットするか。交渉が噛み合わない背景には、この「技術優位性の思い込み」があった。

相手も、確信が持てなかった

ところが、ディスプレイメーカーの側にも迷いがあった。

インセルタッチは本当に市場優位性を築けるのか。OLEDの攻勢に対して、これが有効な武器になるのか。開発費を出して技術協力をするだけの価値が、この技術にあるのか。

しかも、Synapticsが本当に最善のパートナーなのかも、まだ分からない。他に有力な候補はいないか。並行して市場の反応を探りながら、見極めを続けていた。

交渉は、こういう構造の中で始まった。お互いが相手を必要としている。しかしお互いが、相手へのコミットメントをためらっている。どちらも「先に踏み込む」ことのリスクを、相手に押しつけようとしている。

「世界初」という一点が、交渉を動かした

数ヶ月間、交渉は続いた。技術の詳細、開発費の分担、スケジュールのコミット、知財の扱い。テーブルの上に乗る論点は多岐にわたった。

振り返ると、交渉を動かした軸は「世界初の量産」という一点への執着だったと思う。Synapticsにとって、技術リーダーとしてのポジションを維持するためには、インセルタッチでも世界初の量産実績を作ることが必要だった。ディスプレイメーカーにとっても、OLEDに対抗するための差別化技術として、他社より先に市場に出すことに意味があった。

「世界初」は、双方にとって譲れない価値だった。そしてその価値は、早く動くほど大きくなり、遅れるほど小さくなる。時間の経過が、双方を交渉テーブルに引き留め続けた。

対話が、呪いを解いた

この交渉を振り返るとき、技術の話よりも印象に残っていることがある。

双方が不確実性を抱えながら、それを正直に認め合っていたことだ。Synapticsは「単独では完成できない」という限界を隠さなかった。ディスプレイメーカーは「本当に市場優位性を築けるのか確信が持てない」という迷いをテーブルの上に置いた。どちらも、強がることなく、自分たちの状況を正直に示した。

その正直さが、交渉を前に進めた。お互いの弱さを認め合ったからこそ、「世界初」という共通の目標に向かって条件を組み立てることができた。「自分の方が価値を多く生んでいる」という思い込みを脇に置き、相手の貢献を正当に認めることで、初めてリスクの分担が設計できた。

技術資産が「呪い」になるのは、自分の技術の優位性を過大評価し、相手の貢献を見えなくするときだ。価値は、技術単体ではなく、組み合わせの中に生まれる。その組み合わせを実現するためには、相手と正直に向き合う対話が必要だ。

呪いを解くのは、技術の改良ではない。テーブルの向こうの相手と、フラットに話すことだ。

第3章|市場のない市場を作る

それは、会議の休憩時間に始まった。

廊下で声をかけてきたのは、米国のセールス担当者だった。「厚手の透明な粘着テープのサンプルが欲しいという顧客がいるんだが」と、彼は言った。

私は3Mの日本法人に在籍していた。それほど大きな話には聞こえなかった。しかし次の言葉が引っかかった。「米国の開発チームに頼んだんだが、断られた」

3Mの米国には巨大な開発組織がある。なぜそこがやらないのか。聞いてみると、顧客が提示している最終製品のコンセプトが「とがりすぎていて現実的ではない」というのが米国チームの見立てで、サンプル提出に踏み切れないでいるという。

「サンプルを出すことは、量産へのコミットになるのか」と確認すると、顧客の反応は「どちらともいえない」だったという。どちらともいえない——それは、量産をコミットするわけではない、ということだ。

「だったら、量産はコミットしないと言いながらサンプルを出せばいいじゃないか」

私はそう言って、日本のラボにサンプルの作成を依頼した。要求特性は二つだけだった。透明であること。厚みが175ミクロンであること。

一度のサンプルで、採用が決まった

顧客の反応は好評だった。もしかすると、その時点でサンプルを提出できたのが3Mだけだったのかもしれない。理由はどうあれ、たった一度のサンプル提出で、「採用したい」という話になった。こちらも驚いた。しかし同時に、覚悟を決めた。できるところまで付き合うしかない、と。

部品図面が届いた。寸法精度がかなり厳しい。粘着剤は非常に柔らかく、しかも175ミクロンという厚みがある。この状態で高い寸法精度を保ちながら打ち抜き加工をするのは、技術的に極めて難しい。

取引のあった打ち抜き加工の専門メーカー数社に打診した。返ってきたのは、すべて「できない」という回答だった。最終製品のコンセプトは厳秘で、誰にも話せない。コンセプトを説明できない以上、外注先に協力を求めることにも限界があった。こうして、加工を社内で行うことが決まった。

「できない」を解く鍵は、社内にあった

粘着テープは剥離フィルムに挟まれた構造をしている。硬いフィルムの間に柔らかい粘着剤層がある。これを打ち抜くと、粘着剤層に「引け」が生じ、寸法精度が出ない。

この問題を、3Mは独自の方法で解決した。具体的な手法は明かせないが、社外の加工専門メーカーには持ちえない、3Mならではの素材技術の応用だった。

この工程開発の成功が、後のビジネスに決定的な意味を持つことになる。3Mが加工工程を社内で開発したことで、その加工技術自体が参入障壁になった。後から競合他社が同種の素材を開発したとしても、「引け」の問題を解決できなければ製品として成立しない。その時間差が、市場を一定期間占有できた要因となった。

話しかけてきた人に、正直に向き合った

米国のセールスが休憩時間に声をかけてきたとき、私は特別な判断をしたわけではない。話を聞いて、条件を整理して、できることをやった。それだけだ。

しかし振り返ると、その「話を聞く」という姿勢が、すべての起点だった。米国の開発チームは、顧客の要求を「現実的ではない」と判断して、対話を止めた。対話を止めると、検証も止まる。可能性があるかどうか分からないまま、案件が消える。

加工メーカーが「できない」と言ったときも、そこで対話を止めなかった。できない理由を理解しようとした結果、社内に解決策があることに気づいた。

金脈は、対話を続けた先にあった。話しかけてきた人に正直に向き合い、できないと言われても別の道を探し続けた。その積み重ねが、ゼロから始まったビジネスを市場に着地させた。

第4章|顧客資産という埋蔵金

25年ほど前、私は3Mでハードディスク向けの部材を担当していた。

当時のハードディスクは、筐体とカバーの間にウレタンフォームのガスケットが使われていた。そのガスケットは粘着テープでカバーに貼り付けられており、3Mはその粘着テープを供給していた。安定した取引が続いていた。

ところがある時期から、ガスケットメーカーの技術陣から相談が来るようになった。ハードディスクの記録密度が急速に上がるにつれて、それまで許容されていた微量の化学汚染がエラーの原因として問題視されるようになってきたという。犯人として疑われたのは、粘着テープの剥離フィルムに使われているシリコーン処理だった。

技術の壁と、工場への扉

シリコーンを使わない剥離処理として、フッ素系の処理が存在した。しかしこれには致命的な制約があった。剥離力の調整ができないのだ。両面テープには片側が重剥離、もう一方が軽剥離という非対称な設計が必要だが、フッ素系ではそれができない。技術的には行き詰まりだった。

ガスケットメーカーの技術陣と一緒に頭を抱えながら、ある日、工場を見学させてもらう機会があった。工場に入ると、ウレタンはキャリアフィルムの上に塗布され、そこで発泡・成形されていた。

そのとき、一つのことに気づいた。ウレタンが塗布されるのはキャリアフィルムの片側だけだ。反対側の面は工程中、何も使われていない。もしそこにあらかじめ粘着処理を施しておき、フッ素系の剥離フィルムで保護しておけば——シリコーンを一切使わずに済む。

工程設計を逆から考えることで、技術的な行き詰まりが解けた。顧客の工場を見ていなければ、思いつかなかった発想だった。

顧客資産は、協働の中で活きる

コンセプトが見えてからも、ウレタン製造工程の高熱と屈曲の多さによって剥離フィルムが浮くという問題が起きた。基材フィルムの種類、粘着剤の配合、剥離フィルムの仕様。顧客の工程条件を共有しながら、何度も試作と評価を繰り返した。最終的にその困難を乗り越え、製品として成立した。結果として、このガスケット向け粘着テープは一時期ほとんどすべてのハードディスクに使われることになった。

解決策は、3Mの技術と顧客の工程知識が組み合わさることで生まれた。どちらか一方では、辿り着けなかった答えだ。

顧客資産とは、取引先リストのことではない。顧客の工場に入れること、技術陣と一緒に頭を抱えられること、困り事を最初に相談してもらえること。そういう関係性の総体だ。呼ばれる会社と呼ばれない会社の差は、技術力や価格ではないことが多い。日常の接点の深さと、困ったときに頼れるという信頼の蓄積だ。

第5章|クレームが、市場を教えてくれた

3Mに在籍していたころ、同期の一人がこんなことをやっていた。

彼が担当していたのは、紙おむつの外装素材として開発された多孔質フィルムだった。防水性と透湿性を両立するフィルムで、技術的には優れたものだった。しかし、なかなか売れなかった。

ある日、彼はこのフィルムを使い捨ての雨がっぱにできないかと考えた。JAなどを通じて販売したところ、それなりの実績が出始めた。ところが、しばらくして予想外のクレームが届いた。

「袖や首回りに皮脂汚れがついて、取れない」

問題を、逆から見る

そのクレームを受けたとき、多くの開発者が取るであろう行動がある。皮脂がつきにくいようにフィルムの表面を改良する、というアプローチだ。しかし彼がとった行動は、違った。

「皮脂がつく」という事実を、問題として見るのではなく、特性として見た。このフィルムは皮脂をよく吸着する。それが雨がっぱとしては欠点だが、別の用途では長所になるのではないか。

皮脂を取ることを、目的にできないか。そこから彼が思い至ったのが、あぶらとり紙の世界だった。当時のあぶらとり紙は和紙が主流で、吸収力には限界があった。探索の結果、3Mのあぶらとりフィルムが生まれた。

「失敗」には二種類ある

このエピソードが面白いのは、転用が二段階で起きているところだ。最初の転用は、紙おむつ素材を雨がっぱに使うというものだった。二段目の転用は、クレームから始まった。雨がっぱとしての「失敗」——皮脂がつきやすいという欠点——が、あぶらとりフィルムという新しい市場への入口になった。

失敗には二種類ある。技術や設計が間違っていた失敗は改良が必要だ。しかしその用途には合わなかっただけで、別の用途では強みになりうる失敗には、改良ではなく転換が必要だ。

クレームを持ってきた人と、話した

クレームが来たとき、多くの場合、組織は内側を向く。しかし彼がやったのは、クレームを持ってきた顧客の声に、もう一度耳を傾けることだった。「皮脂がつく」という不満の背後に何があるのか。その人が本当に困っていることは何か。その問いを持って顧客の声を聞き直したとき、クレームが別の意味を持ち始めた。

クレームは、顧客からの対話の申し出だ。「直す」前に、まず「聞く」。その姿勢が、思いがけない場所に金脈を見つける。

最終章|資産を活かした事業は、なぜ強いのか

ここまで、いくつかの経験を書いてきた。

休憩時間の立ち話から始まった粘着材料のビジネス。技術を完成させるために顧客と共同開発の交渉を重ねたタッチパネル。顧客の工場に入ったことで見えてきた解決策。クレームが教えてくれた新しい市場。どれも、計画通りに進んだ話ではなかった。偶然の出会いがあり、壁にぶつかり、予想外の展開があり、その中で判断を重ねてきた。

振り返ってみると、これらのエピソードに共通するものがある。それは、どれも「自社にすでにあるもの」を起点にしていたということだ。技術、顧客との関係、加工の能力、素材の特性。外から持ってきたものではなく、すでに手元にあったものが、新しい文脈に置かれることで価値を持った。

なぜ資産を活かした事業は強いのか

資産を活かした事業が強い理由は、単純だ。競合が模倣しにくいからだ。3MがOCAの加工工程を社内で開発できたのは、長年の素材技術の蓄積があったからだ。あぶらとりフィルムが生まれたのは、多孔質フィルムという独自の技術資産があったからだ。HDDガスケットの問題を解けたのは、顧客の工場に入れる関係性があったからだ。これらは、後から参入した競合が短期間で再現できるものではない。

見えていない資産が、一番大きい

資産は「ある」だけでは意味がない。「見えている」ことが必要だ。

OCAの事業は、3Mがすでに持っていた粘着技術と加工能力から生まれた。しかし米国の開発チームはその可能性を「現実的ではない」と判断して動かなかった。あぶらとりフィルムは、皮脂が付着するというクレームが来るまで、その用途は誰も考えていなかった。HDDガスケットの解決策は、工場を見に行かなければ思いつかなかった。

見えていない資産が、一番大きい。なぜなら、それはまだ誰も使っていない資産だからだ。

組織の力学が、資産を歪める

一方で、正直に書いておきたいことがある。

資産が正当に評価されないことは、珍しくない。私自身、担当事業の売却案件が進んでいる場面に立ち会ったことがある。経営からは「売れる案件を持ってこい」という圧力があり、現場はその要求に応えようとして、将来性のある事業を俎上に載せてしまった。

現場はその問題を感じていた。しかし、どうすればいいか分からなかった。結果的にその案件は、買い手からの価格引き下げ要求をきっかけに立ち消えになった。たまたま助かった話だ。再現性のある教訓とは言いにくい。

組織の力学は、資産の評価を歪める。この問題に対して、きれいな答えを持っていない。ただ、問題として認識しておくことは重要だと思う。資産を活かす努力と同時に、資産を守る意識を持つこと。それが、担当者一人ひとりに求められる姿勢だと思っている。

金脈は、すでにある

新規事業は、ゼロから作るものだという思い込みがある。新しい技術、新しい市場、新しい顧客。すべてを外から持ってこなければならないという感覚。

しかしここまで書いてきたように、多くの場合、出発点はすでに手元にある。問題は、それが見えているかどうかだ。見えたとして、別の文脈に置く発想があるかどうかだ。そして発想があったとして、それを実際に動かす意志と行動があるかどうかだ。

金脈は、外にあるのではない。会社の中に、すでにある。

あとは、それを掘るだけだ。

以上